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【解体材処理の沿革②】

【解体材処理の沿革②】

近代化前後のゴミの収集・処理は、排出者が自己処理するか民間の処理業者が行っていて、

処理業者は収集・選別を行い、

有価物を売却することで利益を得ていた。

しかし、

しばしば処理に困ったものは、

空き地等に投棄され不衛生な状態で推積し、

さまざまな伝染病の原因にもなっていた。

そのため、

公衆衛生の向上を目的として1900(明治33)年に「汚物掃除法」を制定し、

ゴミの収集・処分を市町村の義務として位置付け、

行政の管理下に置かれるのとになった。

この当時は、

ゴミの処理方法については、

なるべく焼却すべしとなっており、

ゴミを積み上げて燃やすという、

いわゆる「野焼き」が一般に行われていた。

新・解体工法と積算 解体工法研究会

一般財団法人 経済調査会